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夢のお花の誕生 ~プラスチックの花からポリエステルのアーティフィシャルフラワーへ~

現在流通している布製のアーティフィシャルフラワーは、ヘンリー・ワイツ氏(HENRY WEITZ/アメリカ)がニューヨークの自宅ガレージで研究開発し、
パトリック・クー氏(PATRICK KOO/香港)と共同で生産・販売を立ち上げたことが始まりです。

アーティフィシャルフラワーの父 ヘンリー・ワイツ氏

ヘンリー・ワイツ氏は、ニューヨークの自宅ガレージでシルクや木綿などの布を材料に、手動プレス機で型押しした花弁でアーティフィシャルフラワーを作っていました。プラスチックを軸の形にインジェクション(成形)し、それを低温でシルクに熱圧着し、プラスチックのサポーターを付けた今のアーティフィシャルフラワーの原形が、ここで生まれました。
しかし、シルクは熱に弱く、湿度で形状が崩れてしまうという問題を抱えていました。
そこで、ヘンリー・ワイツ氏は、生地を扱っている知人から、旧帝人株式会社を紹介してもらうことにしました。
当時の帝人株式会社は、ポリエステル布地は服飾用だけしか作っていませんでしたが、特別にアーティフィシャルフラワー専用のポリエステル布地のサンプルを作ってくれました。このポリエステルは、シルクと違い150度以上の高温でも耐えられるため、一度型押しすれば形が崩れることもなく、プラスチックのサポーターとの相性もたいへん良いものでした。

MAGIC SILK社の誕生

このポリエステルを手に入れたヘンリー・ワイツ氏は、当時プラスチックフラワーでは世界一の生産地だった香港に生産拠点を移すため、パートナーを求めて香港へ行きました。
しかし、プラスチックフラワーのメーカー何社かにコンタクトをしたものの、話がまとまることはありませんでした。
なぜなら、この布製アーティフィシャルフラワーは、当時のプラスチックフラワーの数倍、高価だったからです。最後に出会ったUCP社の社長であるパトリック・クー氏の回答も、しばらく考えさせてくれというものでした。ヘンリー・ワイツ氏はサンプルを彼に託し、一度ニューヨークに戻ることにしました。
その後アメリカに飛んだパトリック・クー氏は、ヘンリー・ワイツ氏から預かった布製アーティフィシャルフラワーのサンプルを顧客に見せました。すると、顧客の反応がたいへん良かったため、その足でニューヨークのヘンリー・ワイツ氏を訪れました。そして、すぐに共同生産の契約を結び、台湾にMAGIC SILK社を立ち上げたのです。

日本初のアーティフィシャルフラワー

1975年、日本ビダヤコム株式会社現相談役・東郷芳温がMAGIC SILK社と出会い、ヘンリー・ワイツ氏に直談判し、度重なる交渉の末、日本での独占販売権を取得。
当社がポリエステル生地製のアーティフィシャルフラワーをMAGIC SILK(マジック・シルク)というブランド名で、日本に初めて紹介するに至りました。

その後、多くの人の手を経て、アーティフィシャルフラワーの技術は目覚ましい発展を遂げました。
今では、時に生花に見間違われるほど、精巧な作品に仕上がっております。